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最高裁判所第二小法廷 昭和49年(あ)2470号 決定

右の者に対する強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂、窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件について、昭和四九年一〇月三一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中四〇〇日を本刑に算入する。

理由

(弁護人佐々木哲蔵ほか三八名連名の上告趣意に対する判断)

一部落民に対する差別・偏見を理由とする憲法一四条、三七条一項違反の主張について

所論は、被告人が部落出身者であるの故をもつて、捜査官の予断と偏見に基づいて行われた差別的捜査は、憲法一四条に違反するものであるから、右差別的捜査によつて得られた証拠は、禁止、排除されるべきであるのに、かかる証拠により事実を認定した原判決は、憲法一四条に違反し、また、原判決は、捜査官の差別的捜査、第一審の差別的審理、判決を追認、擁護したのみならず、事実認定において、被告人が部落差別をうけていたが故に、不在証明等被告人に有利な事実を明らかにすることが困難であることに思いを致すことなく、更には、被告人の自白の維持と部落問題との関係についての審理、判断を回避し、捜査官の約束を信じて行つた嘘の自白を合法化するため、殊更被告人に対し予断と偏見に基づく不当な非難を浴びせるなど、真実発見のために当然行うべき事件の大局的観察を意図的に避けることによつて、事件の真相を歪曲し、被告人を有罪としたものであるから、積極的な差別言動と同様に部落差別に該当し、憲法一四条、三七条一項に違反する、というのである。

しかし、記録を調査しても、捜査官が、所論のいう理由により、被告人に対し予断と偏見をもつて差別的な捜査を行つたことを窺わせる証跡はなく、また、原判決が所論のいう差別的捜査や第一審の差別的審理、判決を追認、擁護するものでなく、原審の審理及び判決が積極的にも消極的にも部落差別を是認した予断と偏見による差別的なものでないことは、原審の審理の経過及び判決自体に照らし明らかである。それ故、所論違憲の主張は、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

二自白の任意性等に関する憲法三八条一項二項違反の主張について

(一)  所論は、被告人は、取調にあたつた捜査官から、「善枝ちやん殺しを自白すれば十年で出してやる。」と約束され、これを信じて自白をしたものであるから、自白に任意性がない、というのである。しかし、所論のような約束があつたということは、原審において初めて被告人が述べたことであつて、被告人は、捜査段階で自白して以来、捜査段階、第一審の審理を通じて自白を維持し、検察官から死刑の論告求刑を受けた後の被告人の意見陳述の機会においても争わなかつた事実等に照らせば、被告人の原審における右供述は真実性のないものであり、その他、所論のいう約束があつたことを窺わせる証跡はみあたらない。

(二)  所論は、被告人の自白は不当に長く勾留された後の自白である、というのである。しかし、記録によると、被告人は、窃盗、暴行、恐喝未遂被疑事件で逮捕、勾留された後、窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件で起訴勾留され、更に、強盗強姦殺人、死体遺棄被疑事件で逮捕、勾留され、右一連の逮捕、勾留により引き続き身柄の拘禁をうけていたものであるが、最初の逮捕の日から二九日目に強盗強姦殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件について三人共犯に関する一部自白をし、三二日目に単独犯行の全面自白をしたものであつて、事件の性質、規模、証拠収集の経過や取調状況等に照らせば、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白とは認められない。

(三)  所論は、被告人は、片手錠を掛けられたまま連日連夜苛酷な取調を受けたものであつて、かかる取調によつて得られた自白には任意性がない、というのである。記録によると、被告人が片手錠をかけられたまま取調を受けた事実を認めることができる。しかし、片手錠による場合は両手錠による場合に比して、一般的に心理的圧迫の程度は軽く、記録にあらわれた被告人に対する取調状況を併せ考察しても、自白の任意性を疑わせる状況はみあたらない。

(四)  所論は、昭和三八年六月二〇日の接見以降同月二六日の接見までの間、検察官が弁護人と被告人との接見を理由なく拒否したが、この時期に自白調書が集中的に作成されており、右接見拒否は、明らかに自白強要を妨害されないためのものであつて、この期間にされた自白には任意性がない、というのである。記録によると、弁護人と被告人との接見は、同月一八日に二〇分間、同月一九日に五分間、同月二〇日に五分間、同月二六日に一五分間、同月二八日に一五分ないし二〇分間、同年七月六日に一五分ないし二〇分間行われているが、同年六月二一日から同月二五日までの間接見が行われた事実はない。しかし、右期間中の弁護人と被告人との接見を検察官が理由なく拒否した事実は認められない。

(五)  以上のほか、所論は、被告人の自白は、捜査官により強要されたものであり、また、捜査官の強制、脅迫、誘導等によるもので任意にされたものではない、というのであるが、記録を調べても、捜査官による強要、強制、脅迫、誘導等が行われたと信ずるに足りる証跡を発見することができない。

以上のとおり、被告人の自白が、捜査官により強要された自白、又は捜査官の強制・脅迫による自白、不当に長い勾留の後の自白その他任意にされたものでない自白であつて、これを証拠とした原判決は憲法三八条一項二項に違反するとの所論は、いずれもその前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

三違法な別件逮捕・勾留、再逮捕・勾留によつて収集された証拠に証拠能力を認めた原判決は、刑訴法の手続規定に違反し、憲法三一条、三三条、三四条、三六条、三七条一項、三八条一項二項に違反し、かつ、判例に違反するとの主張について

(一)  所論は、同年五月二二日付逮捕状による被告人の逮捕及びこれに引き続いて行われた勾留は、専ら、逮捕状を請求するだけの証拠の揃つていない強盗強姦殺人、死体遺棄(「本件」)について取調をする目的で、証拠の揃つている軽微な犯罪である窃盗、暴行、恐喝未遂(「別件」)の罪名で逮捕、勾留したものであり、更に、同年六月一六日付逮捕状による被告人の再逮捕及びこれに引き続いて行われた勾留は、既に同年五月二三日から同年六月一七日まで別件の逮捕・勾留によつて取調をした被疑事実と同一の被疑事実である「本件」について再び逮捕・勾留をするものであるから、右各逮捕・勾留及びその間の被告人に対する取調は、刑訴法の手続に違反し、憲法三一条、三三条、三四条、三六条、三七条一項、三八条一項二項に違反するものであるところ、右の如く令状主義を潜脱した違法、違憲の「別件」の逮捕・勾留及び「本件」の再逮捕・勾留中に得られた証拠により犯罪事実を認定した原判決は、刑訴法の手続に違反し、かつ、憲法に違反する、というのである。

そこで、所論違憲主張の前提である「別件」の逮捕・勾留及び「本件」の逮捕・勾留を含む一連の捜査手続が刑訴法の手続規定に違反した違法なものであるかどうかについてみるに、記録によると、捜査官は、被告人に対する窃盗、暴行、恐喝未遂被疑事件について、同年五月二二日逮捕状の発付を得て翌二三日被告人を逮捕し、被告人は同月二五日勾留状の発付により勾留され、右勾留は同年六月一三日まで延長され(第一次逮捕・勾留)、検察官は、勾留期間満了の日に、同被疑事件のうち窃盗及び暴行の事実と右勾留中に判明した窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領の余罪の事実とについて公訴を提起し(右余罪については、あらためて勾留状が発せられた。)、右恐喝未遂被疑事件については、処分留保のまま勾留期間が満了したこと、被告人に対する右被告事件の勾留に対し弁護人から同月一四日保釈請求があり、同月一七日保釈許可決定により被告人は釈放されたが、これに先だち、捜査官は、同月一六日被告人に対する強盗強姦殺人、死体遺棄被疑事件について逮捕状の発付を得て、同月一七日被告人が保釈により釈放された直後右逮捕状により被告人を逮捕し、被告人は、同月二〇日勾留状の発付により勾留され、右勾留は同年七月九日まで延長され(第二次逮捕・勾留)、検察官は、勾留期間満了の日に、強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄の事実と処分留保のままとなつていた前記恐喝未遂の事実とについて公訴を提起したものであること、が認められる。

ところで、被告人に対する強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂被告事件(以下「本事件」という。)の捜査と第一次逮捕・勾留、第二次逮捕・勾留との関係について考察するに、記録によると、その経過は次のとおりである。すなわち、

本事件は、同年五月一日午後七時三〇分ころ中田栄作方表出入口ガラス戸に二女善枝の身分証明書が同封された脅迫状が差し込まれ、同女の通学用自転車が邸内に放置されていたのを間もなく家人が発見して警察に届出たのが捜査の端緒となつたのであるが、長女登美恵が、脅迫状に指定された日時、場所に身の代金に擬した包を持つて赴き、犯人と言葉を交わしたところ、犯人は他に人がいる気配を察知して逃走し、犯人逮捕のため張り込み中の警察官が犯人を追つたが逮捕することに失敗した。そのため、埼玉県警察本部及び狭山警察署は、重大事件として同月三日現地に特別捜査本部を設けて捜査を開始し、同日犯人の現われた佐野屋附近の畑地内で犯人の足跡と思われる三個の足跡を石膏で採取したほか、警察官、消防団員多数による広域捜索(山狩)を実施し、同日善枝の自転車の荷掛用ゴム紐を、翌四日農道に埋められていた善枝の死体をそれぞれ発見し、死体解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死であり、姦淫された痕跡があり、死体内に残留されていた精液から犯人の血液型がB型(分泌型―排出型)であることが判明し、また、死体とともに発見された手拭及びタオルは犯人の所持したもので犯行に使用されたものと推定されたが、一方、善枝の所持品のうち鞄、教科書、ノート類、チヤツク付財布、三つ折財布、万年筆、筆入及び腕時計が発見されなかつた。そのころ、石田一義経営の豚舎内から飼料攪拌用のスコツプ一丁が同月一日夕方から翌二日朝にかけて盗難に遭つたことが判明していたのであるが、同月一一日右スコツプが死体発見現場に近い麦畑に放置されているのが発見され、死体を埋めるために使用されたものと認められるところ、石田方豚舎の番犬に吠えられることなく右スコツプを夜間豚舎から持ち出せる者は、石田方の家族か、その使用人ないし元使用人か、石田方に出入りの業者かに限られるので、それらの関係者二十数名について事件発生当時の行動状況を調査し、筆跡と血液型とを検査するなどの捜査を進めた結果、元石田豚舎で働いていたことのある被告人の事件当日の行動がはつきりしないほか、脅迫状の筆跡と被告人の筆跡とが同一又は類似するとの鑑定の中間報告を得て、被告人が有力な容疑者として捜査線上に浮んだのである。

以上の捜査経過でも明らかなように、事件発生以来行われてきた捜査は、強盗強姦殺人、死体遺棄、恐喝未遂という一連の被疑事実についての総合的な捜査であつて、第一次逮捕の時点においても、既に捜査官が被告人に対し強盗強姦殺人、死体遺棄の嫌疑を抱き捜査を進めていたことは、否定しえないのであるが、右の証拠収集の経過からみると、脅迫状の筆跡と被告人の筆跡とが同一又は類似すると判明した時点において、恐喝未遂の事実について被害者中田栄作の届書及び供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、中田登美恵の供述調書、被告人自筆の上申書、その筆跡鑑定並びに被告人の行動状況報告書を資料とし、右事実に竹内賢に対する暴行及び高橋良平所有の作業衣一着の窃盗の各事実を併せ、これらを被疑事実として逮捕状を請求し、その発付を受けて被告人を逮捕したのが第一次逮捕である。また、捜査官は、第一次逮捕・勾留中被告人から唾液の任意提出をさせて血液型を検査したことや、ポリグラフ検査及び供述調書の内容から、「本件」についても、被告人を取調べたことが窺えるが、その間「別件」の捜査と並行して「本件」に関する客観的証拠の収集、整理により事実を解明し、その結果、スコツプ、被告人の血液型、筆跡、足跡、被害者の所持品、タオル及び手拭に関する捜査結果等を資料として「本件」について逮捕状を請求し、その発付を受けて被告人を逮捕したのが第二次逮捕である。

してみると、第一次逮捕・勾留は、その基礎となつた被疑事実について逮捕・勾留の理由と必要性があつたことは明らかである。そして、「別件」中の恐喝未遂と「本件」とは社会的事実として一連の密接な関連があり、「別件」の捜査として事件当時の被告人の行動状況について被告人を取調べることは、他面においては「本件」の捜査ともなるのであるから、第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず「本件」についても被告人を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調というべきではなく、「別件」について当然しなければならない取調をしたものにほかならない。それ故、第一次逮捕・勾留は、専ら、いまだ証拠の揃つていない「本件」について被告人を取調べる目的で、証拠の揃つている「別件」の逮捕・勾留に名を借り、その身柄の拘束を利用して、「本件」について逮捕・勾留して取調べるのと同様な効果を得ることをねらいとしたものである、とすることはできない。

更に、「別件」中の恐喝未遂と「本件」とは、社会的事実として一連の密接な関連があるとはいえ、両者は併合罪の関係にあり、各事件ごとに身柄拘束の理由と必要性について司法審査を受けるべきものであるから、一般に各別の事件として逮捕・勾留の請求が許されるのである。しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について逮捕・勾留するだけの証拠が揃つておらず、その後に発見、収集した証拠を併せて事実を解明することによつて、初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することができるに至つたものと認められるのであるから、「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して捜査することができるのに、専ら、逮捕・勾留の期間の制限を免れるため罪名を小出しにして逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、各別に請求したものとすることはできない。また、「別件」についての第一次逮捕・勾留中の捜査が、専ら「本件」の被疑事実に利用されたものでないことはすでに述べたとおりであるから、第二次逮捕・勾留が第一次逮捕・勾留の被疑事実と実質的に同一の被疑事実について再逮捕・再勾留をしたものではないことは明らかである。

それ故、「別件」についての第一次逮捕・勾留とこれに続く窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件の起訴勾留及び「本件」についての第二次逮捕・勾留は、いずれも適法であり、右一連の身柄の拘束中の被告人に対する「本件」及び「別件」の取調について違法の点はないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。従つて、「本件」及び「別件」の逮捕・勾留が違法であることを前提として、被告人の捜査段階における供述調書及び右供述によつて得られた他の証拠の証拠能力を認めた原判決の違憲をいう所論は、その前提を欠き、その余の所論は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

(二)  所論は、本被告事件における別件逮捕・勾留及び再逮捕・勾留を合法化し、これによつて得た自白調書の証拠能力を認めた原判決の判断は、最高裁判所の判例に違反するほか、高等裁判所及び下級審の判例に違反する、というのである。

しかし、所論引用の当裁判所昭和二六年(れ)第二五一八号同三〇年四月六日大法廷判決並びに大阪高等裁判所昭和四三年(う)第九三六号同四五年四月二四日判決及び昭和四六年(う)第一〇四八号同四七年七月一七日判決は、いずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の所論引用の下級審判決は、すべて地方裁判所の判決であつて刑訴法四〇五条所定の判例にあたらないから、所論判例違反の主張は、いずれも適法な上告理由にあたらない。

四その他の憲法三一条、七六条三項等違反の主張について

所論は、原審は、検証及び部落差別問題の専門家その他の証人についての弁護人の事実取調請求を却下したほか、採証法則に違反し、あるいは経験則、科学法則を無視し、多くの重要な事実について推認、推測、推論等の文字を使つて事実を創作ないし想像して事実認定をし、更には、被告人は自白した場合にも虚偽の事実を主張するものであるとの独断に立つて事実を判断するなど、初めから被告人が有罪であることを前提とした不公正な審理を行い、予断と偏見に基づいて証拠を評価し、事実を認定したものであつて、憲法三一条、七六条三項等に違反する、というのである。

しかし、原審が初めから被告人は有罪であるとの予断と偏見に基づいて不公正な審理、判決をしたものでないことは、その審理の経過及び判決自体に照らして明らかであるから、所論違憲の主張は、前提を欠き、その余の所論は、実質は単なる法令違反、事実誤認をいうに帰するものであつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

五判例違反の主張について

所論は、原判決は、虚無の証拠を他の証拠と総合して違法に事実を認定し、名古屋高等裁判所昭和二五年二月一四日(二〇日の誤記と認められる。)判決・高裁特報六号一〇一頁の判例に反する判断をした、というのである。

しかし、原判決が虚無の証拠を事実認定の証拠とし、あるいは、虚無の証拠を他の証拠と総合して事実を認定したものとは認められないから、所論は、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

六その他の主張について

その他の所論は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

(弁護人寺田熊雄の上告趣意に対する判断)

所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

(被告人本人の上告趣意((昭和五一年一月二四日付上申書による趣意を含む。))に対する判断)

所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

(原判決の事実認定についての職権による調査及び判断)

弁護人及び被告人本人の各上告趣意の主たる論点は、被告人に対する本被告事件のうち本事件(強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件)の犯人は被告人ではなく、被告人を本事件について有罪とした原判決は、重大な事実誤認を犯し、被告人にえん罪をきせるものである、というのである。

上告審は、上告趣意が適法な上告理由にあたらない場合であつても、自ら原判決の当否を調査することができ、その調査の過程において、原判決の事実認定に重大な瑕疵を発見し、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合には、最終審の責務として、刑訴法四一一条により職権を行使してその瑕疵を是正する処置をとるべきものであることはいうまでもない。

そこで、当裁判所は、弁護人及び被告人本人の所論にかんがみ、職権により訴訟記録並びに第一審及び原審裁判所が取調べた証拠(以下「記録」という。)に基づいて、原判決の事実認定の当否を調査したのであるが、その結果、原判決の事実認定に重大な瑕疵は発見されず、原判決の事実認定及び判断は、正当として是認することができるとの結論に達した。その理由の主要な点を説示すると、次のとおりである。

一本事件の争点は、被告人が犯人であるかどうかということに帰する。そこで、記録中の被告人と犯人との同一性についての関係証拠をみると、(1)被告人と犯人との同一性の認定に関する客観的証拠(被告人の自白以外の物的証拠及び証言)、(2)被告人が犯人であるとの自白の真実性を担保する証拠、(3)自白の内容及び犯行の態様を明らかにする客観的証拠がある。

(1)については、その証拠として、(イ)脅迫状及び封筒とその筆跡並びに被告人の筆跡、(ロ)犯行現場附近で採取された石膏足跡(石膏成型足跡)及び被告人方から押収された地下足袋、(ハ)被害者善枝の体内に残留していた精液の血液型及び被告人の血液型、(ニ)死体とともに発見された手拭及びタオル、(ホ)死体埋没現場近くで発見されたスコツプ、(ヘ)中田栄作方に脅迫状が投入された直前ころ同家の所在を尋ねた人物に関する内田幸吉証言、(ト)身の代金を受け取りに現われた犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄の各証言がある。

これらの客観的証拠が被告人の自白を離れて被告人と犯人との同一性を認定するに足りる証明力をもつならば、自白についての検討をまつまでもなく、被告人が犯人であることの証明の目的が達せられるというべきである。

その意味で、右各証拠が自白を離れていかなる程度の証明力をもつかが重要な意義を有するのであつて、原判決も、この点に留意して、客観的証拠の証明力について細心の検討を加えたあとが窺える。更に、これらの客観的証拠は、被告人の自白に照らして、その証明力が考察されることも重要であり、原判決が自白の補強証拠としての評価についても併せて検討を加えたのは、相当である。

(2)については、その証拠として、鞄、万年筆及び腕時計がある。これらは、いずれも被告人が犯行現場から持ち去り、その所在を秘密にしていた善枝の所持品であつて、被告人が自ら明らかにしたことにより発見された証拠物であるとされているものであり、かかる関係が明確にされれば、被告人が犯人であるとの自白の真実性を担保するものとして高く評価される。

原判決は、右三証拠のほか、被告人が脅迫状を中田栄作方に投入しに行く途中自動三輪車に追い越された事実を供述し、右供述に基づいて捜査した結果、吉沢栄証言によつてその事実が裏付けられたことも、被告人の自白の真実性を高めるものとして掲げている。

(3)については、自白が被告人の経験に基づいて事実を述べているかどうか、換言すれば、被告人の述べる犯行態様と死体の損傷、死体埋没現場で発見された証拠物その他犯行の態様を示す物的証拠との間に、被告人が犯人であることに合理的な疑を抱かせるような本質的な矛盾がないかどうかが吟味されなければならない。

そこで、以上の点について逐次検討を加えてゆく。

二原判決は、客観的証拠により、(1)中田栄作方に届けられた脅迫状の筆跡は、被告人のものであること、(2)昭和三八年五月三日佐野屋附近の畑地で発見された足跡三個は、被告人方から押収された地下足袋によつて印象されたものと認められること、(3)被告人の血液型は、B型(分泌型)であつて、被害者善枝の腟内に残留していた精液の血液型と一致すること、(4)善枝を目隠しするのに使われたタオル及び善枝の両手を後ろに縛り付けるのに使われた手拭は、被告人が入手可能の状況にあつたこと、(5)死体を埋めるために使われたスコツプは、石田一義方豚舎から同月一日の夜間に盗まれたものであるが、被告人がかつて同人方に雇われて働いていたことがあつて、右豚舎にスコツプがあることを知つており、容易にこれを盗むことができたであろうこと、(6)中田栄作方の近所の内田幸吉は、脅迫状が中田家へ届けられたころ内田幸吉方を訪れて中田栄作方はどこかと尋ねた人物は被告人に相違ないと証言していること、(7)同月三日午前零時過ぎころ佐野屋附近で犯人の音声を聞いた中田登美恵及び増田秀雄は、いずれも犯人の声が被告人の声とよく似ていると証言していること、以上の事実を被告人の自白を離れても認めることができるとし、これらの事実は、相互に関連しその信憑力を補強し合うことにより、脅迫状の筆跡が被告人の筆跡であることを主軸として、被告人が犯人であることを推認させるに十分であり、この推認を妨げる状況は全く見いだすことができない、としている。

そこで、原判決が客観的証拠について行つた評価及びこれに基づいて被告人を犯人とした推論が、経験則、論理則に基づいた合理的なものであるかどうかについて検討すると、次のとおりである。

(一)  原判決が客観的証拠の主軸に据えている脅迫状及び封筒(浦和地裁昭和三八年押一一五号の一)の筆跡と被告人の筆跡との同一性の認定については、関根政一・吉田一雄作成の鑑定書、長野勝弘作成の鑑定書、高村巌作成の鑑定書(以上を合せて「三鑑定」という。)及び戸谷富之作成の鑑定書があり、三鑑定は、いずれも脅迫状の筆跡と被告人の筆跡とは同一であると結論している。

所論は、三鑑定は、いわゆる伝統的筆跡鑑定方法によるものであつて、鑑定人の主観と勘とに頼つた客観性、科学性のないものであり、特定の文字について「相同性」のみを強調し、「相異性」「稀少性」「常同性」を無視して、なされた信頼度の低いものである、というのである。

しかし、原判決が、いわゆる伝統的筆跡鑑定方法は、鑑定人の経験と勘に頼るところがあり、ことの性質上その証明力にはおのずから限界があることは否定することができないが、このことから直ちに、この鑑定方法が非科学的で不合理であるということはできないのであつて、筆跡鑑定におけるこれまでの経験の集積と専門的知識によつて裏付けられたその方法と判断は、鑑定人の単なる主観にすぎないものとはいえず、特に、高村鑑定は、表現こそ異なるが、「相異性」「稀少性」「常同性」についても十分斟酌、検討を加えていることが認められるとして、三鑑定に客観的な証明力を肯定したのは、正当である。また、三鑑定の鑑定方法及びその結果の相当性を鑑定事項の一つとして弁護人が申請した戸谷鑑定は、筆跡の科学的鑑定方法として、文字の「相同性」のみならず「相異性」「稀少性」「常同性」の検討を必須の要件とし、その検討は、即自的でなく近代統計学を応用した科学的な裏付けのされたものでなければならないとする理論的前提に立つて、三鑑定を批判しているが、右戸谷鑑定においても、「三鑑定書における鑑定においては、文字の比較が即自的であり、稀少性、常同性の検討は不充分である。三鑑定が指摘するように、被検文書と照合文書の間に、いくつかの稀少性、常同性を満たしていると思われる類似点も多く見られることは確かである。しかし、かなり異つた点もあり、同一筆跡であると断定するには、根拠不十分である。」というにとどまり、しかも、具体的に被検文書(脅迫状)と三鑑定の用いた照合文書とを検討した結果として、「かなりの類似点は見られ、通常の学歴をもつ人の場合には、同一の筆跡であると判定するのにあるいは充分であるかも知れないという印象をうけるが、本人が学歴低く日常字を書くことの殆どないグループに属する者であることを考慮するとき、本人の字の稀少性はグループの中では薄れるため、同一人と直ちに判定することには理論的に同意しがたいように思う。」と説明し、積極的に同筆と断定しないまでも、異筆とは結論していない。

所論はまた、脅迫状の文章は、横書きで句読点が正確に打たれているほか、多くの漢字が当て字として用いられており、その中には教育漢字に含まれていない字が使われるなど、教育程度の低い被告人の表記能力、文章構成能力ではとうてい書きうるものではない、というのである。

しかし、本件脅迫状の文章は、句読点を用いているといつても、おおむね各行の終りに「。」を付しているにすぎず、当て字についても、当てる漢字と当てられる仮名との間には、音を同じくするほかは、なんら関連性のない漢字を使つているのであつて、高度の表記能力、文章構成能力を必要とするものではなく、原判決が、他の補助手段を借りて下書きや練習をすれば、作成することが困難な文章ではないとしたのは、是認することができる。

なお、本件脅迫状の文中には、平仮名の「つ」を書くべきところは、すべて片仮名の「ツ」を用いており、また、日付の記載は、漢数字とアラビア数字を混用しているほか、助詞「は」は、「は」と「わ」を混用しているが、それらと同じ用法が、被告人自筆の昭和三三年五月一日付早退届(同押号の五八)、同三八年五月二一日付上申書(同号の六〇)並びに記録中の被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書添付図面の被告人自筆の説明文中に随所に見られ、顕著な特徴として挙げることができる。更に、本件脅迫状の文中には、「一分出もをくれたら」、「車出いツた」、「死出死まう」など五か所において、「で」の当て字に「出」の字が用いられているが、被告人自筆の被告人から関源三あて(昭和三九年)八月二一日付の手紙(東京高裁昭和四一年押二〇号の四)の文中にも、「来て呉れなくも言い出すよ」、「あつかましいお願い出すが」と書かれていて、本件脅迫状におけると同じように、「で」の字に「出」の字を当てているのは、単なる偶然とはみられない。

(二)  佐野屋附近の畑地から採取された石膏足跡三個(浦和地裁昭和三八年押一一五号の五)と被告人方から押収された地下足袋一足(同押号の二八の一)との足跡の同一性に関する証拠として、関根政一・岸田政司作成の鑑定書がある。同鑑定は、押収にかかる右石膏足跡三個(鑑定資料(一)、そのうち左足による一個を(一)(1)、右足による二個を(一)(2)、(一)(3)とする。)及び押収にかかる右地下足袋一足(鑑定資料(二)、そのうち右足地下足袋を(二)(1)、左足地下足袋を(二)(2)とする。)について、資料(一)の足跡は、資料(二)の地下足袋によつて印象されたものかどうかを鑑定したものであるところ、(イ)資料(一)(1)の石膏足跡は資料(二)(2)の左足地下足袋と同一種別、同一足長と認められるが、右の石膏足跡には決定的な異同識別の基礎となるべき損傷特徴が顕出されていないとし、また(ロ)鑑定資料(二)(1)の右足地下足袋には、損傷特徴として、竹の葉型模様のほぼ左端溝部外側縁を基点として約三八ミリメートル程度の間が厚さ約一ないし二ミリメートル程度でゴムが剥がれ、外側に弓状に屈曲している著明な破損、拇趾先端外側縁のゴムが破損し、約二センチメートルの部分が不規則な側縁を形成する破損、足先部より六線目及び七線目の横線模様右端の損傷がそれぞれ認められ、これに対応して、資料(一)(3)の石膏足跡には、竹の葉型模様の後部外側縁に著明な破損痕跡があり、踏付部前端外側縁部に特有の損傷痕跡が認められ、また資料(一)(2)の石膏跡には、拇趾先端部及び踏付部前端外側縁部に損傷部位が認められ、これらは、いずれも決定的な異同識別資料としての適格性をもつものであるとしている。そして、その鑑定方法として、資料(一)の石膏足跡と資料(二)の地下足袋との符合についての実体究明を行うため、資料(二)の地下足袋を警察技師及び被告人本人に履かせて、前記足跡採取現場から採取した土その他各種の土による対照足跡の印象実験及び採型実験を反覆実施し、印象個所、土質の柔軟度、歩行速度、歩幅、姿勢等による重心の移行、地面におよぼす重圧等印象条件の違いによる誤差を考慮したうえ、各観点から比較検査を実施したものであつて、その鑑定方法は、客観的妥当性のある信頼度の極めて高いものであることが認められる。それ故、原判決が、「鑑定資料(一)の1号足跡は、同上(二)の左足地下足袋と同一種別、同一足長と認む。鑑定資料(一)の2号足跡は、同上(二)の右足地下足袋によつて印象可能である。鑑定資料(一)の3号足跡は同上(二)の右足地下足袋によつて印象されたものと認む。」との同鑑定の結果を採用したのは、相当である。

所論は、鑑定資料(一)の石膏足跡と資料(二)の地下足袋との足長測定を実施した結果、資料(一)(2)の石膏足跡と資料(二)(1)の地下足袋とでは1.31センチメートル、資料(一)(3)の石膏足跡と資料(二)(1)の地下足袋とでは1.12センチメートルの差があり、いずれも資料(一)(2)、(3)の石膏足跡の方が大きく、また、計測実験の結果を統計的に解析した結果は、資料(一)(2)、(3)の石膏足跡が資料(二)(1)の地下足袋によつて印象された確率は一パーセントにも達しないし、更に、資料(二)の地下足袋は、被告人の兄六造のものであつて、その文数は九文七分であるところ、被告人は、普通十文半の地下足袋を履いているのであるから、被告人が資料(二)の地下足袋を履いて、被告人方から佐野屋附近まで往復することはできない、というのである。

しかし、資料(二)の地下足袋は、甲布の裏にゴム底を縫い付けて製作された、いわゆる職人足袋といわれるものであつて、右の地下足袋を履いた場合、甲布の外辺がゴム底よりも外に広がることもあり得ることを考慮に入れて、資料(一)、(2)、(3)の石膏足跡を観察すると、同足跡の踵後端部は、甲布部分が印象されているとも、移行によるずれとも思われる形跡が残つているとみられるのであるから、これらの点を明確にしないで、単に資料(一)の石膏足跡の足跡成型部分の全長を測定し、これと資料(二)の地下足袋の足長とを比較して有意的な差異があるとすることは、正当でない。また、関根・岸田鑑定によれば、同鑑定における着装実験では、被告人に資料(二)の地下足袋を履かせたところ、やや窮屈な様子であつたが、被告人は、こはぜを最上部まではめて歩行したというのであるから、文数の違いは、被告人が資料(二)の地下足袋を履いて佐野屋附近に現われたとの推認の妨げとなるものではない。

それ故、右の地下足袋と石膏足跡とは、自白を離れ、被告人と犯人とを結びつける証拠として重要な価値をもつものといえる。

(三)  内田幸吉証言の信用性についてみるに、第一審において、証人内田幸吉は、昭和三八年五月一日午後七時三〇分ころ同人方表口に中田栄作方の所在を尋ねに来た男について、被告人が逮捕されたのち警察に行つて見たが、顔かたち、背丈、髪の毛の具合などが似ていると思つたと述べ、また、法廷の被告人を見て、「そうです、そうです、この人です」と言つており、原判決は、右証言は十分信用するに値し、その信用性を疑わせる事情はなんら見当らない、としている。

所論は、同証人が同年六月五日に至つて初めて右事実を警察に届出たのは不可解である、というのであるが、その間の事情については、同証人の第一審及び原審における証言の中に如実に述べられているとおり、事件とのかかわりを持つことが恐ろしくて届け出を躊躇していたためであるというのであつて、かかる心情が決して不自然でないことは、原判決の説示するとおりである。更に、所論は、中田栄作方を尋ねに来た時刻が午後七時三〇分ころであるとの内田幸吉証言は、同人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに内田くにの司法警察員に対する供述調書に照らして考察すると、なんら根拠のないものであり、ひいては、内田幸吉方に中田家の所在を尋ねに来た人物があつたとの内田幸吉証言は、架空なものである、というのであるが、所論の援用する各供述調書は、第一審において検察官が証拠調請求をしたのに対し被告人が同意せず、証拠として採用されていないものであつて、所論は、証拠に基づかない論難である。のみならず、内田幸吉証言を仔細に検討してみても、特に不自然と思われるような個所は見いだせない。

原判決の判示するとおり、関係証拠によると、中田栄作方に脅迫状が投入されたのは午後七時三〇分ころと推認されるのであつて、これと接近した時刻に同人方から東方約一二〇メートル離れた内田幸吉方で中田栄作方の所在を尋ねた人物は、本事件と密接な関連があるとみられるところ、その人物が被告人であると述べている内田幸吉証言は、被告人と犯人との同一性を認定する証拠として重要な価値をもつものである。

(四)  スコツプ(同押号の四一)は、関係証拠によると、石田一義経営の豚舎で飼料攪拌用に使われていたものであつて、昭和三八年五月一日夕方から翌二日朝にかけて何者かに盗まれたが、同月一一日被害者善枝の死体埋没現場の西北約一二五メートルの地点の麦畑の中に放置されているのが発見されたことが認められる。

所論は、本件スコツプが死体を埋めるために使用されたと認めるに足りる証拠はなく、本件スコツプに付着している土壌と死体埋没現場から採取した土壌との同一性に関する星野正彦作成の鑑定書は、死体を埋めた穴の附近から採取した土壌を鑑定資料としたとするが、その採取場所には疑問があり、また、その鑑定方法についても、鑑定に必要な検査が一部欠落しているほか、検査結果の検討が科学的根拠にもとづく合理的なものではないから、同鑑定は信頼性のないものである、というのである。

しかし、警察技師星野正彦作成の「土壌の採取について」と題する報告書添付写真と司法警察員大野喜平作成の実況見分調書とを比較検討すれば、星野鑑定は、死体を埋めた穴の附近から土壌を採取して鑑定資料としていることは明らかであるから、資料の適格性に疑問はない。

次に、星野鑑定は、スコツプに付着している土壌(付着場所、外観及び色調によりこれをさらに八種類に区分)が、スコツプが置いてあつた麦畑の表土、死体を埋めた穴の附近の土壌(外観、色調により表土から順次八種類に区分)、右穴の附近の麦畑の表土及び右穴の附近の茶の木の下の土壌のうち、いずれに類似しているかを鑑定したものであり、その検査方法として、資料の外観、色調等の一般検査のほか、「比重による比較検査」「化学検査」「器械分析」「砂分の検査」「粘土分の検査」「赤外吸収スペクトル測定」「熱灼減量測定」の七項目について検査を実施して、類似性の比較を行つているのであるが、すべての資料について一般検査、比重による比較検査を行いながら、一部の資料についてはその余の検査項目の一部又は全部を省略していることは、所論の指摘するとおりである。これは、同鑑定が資料の量(中には、約0.3グラム又は約一グラムという微量のものもある。)や混在の状態に応じて検査方法を選択して実施したことによるとみられるから、あながち検査方法に妥当性がないとはいえないが、資料間の類似性を比較するには必ずしも充分な検査が行われたとはいえない。いずれにしても、同鑑定は、検査をした資料の範囲で、それらの資料間の相対的な類似性を求めているのであるから、その証明力には限界があり、もとより同鑑定をもつて直ちに本件スコツプが死体を埋めるために使用されたと認定することは相当でなく、原判決も右鑑定のみによつて本件スコツプが死体を埋めるために使用されたとは認定しておらず、同鑑定とその他の証拠とを総合して認定したものと認められる。

ところで、関係証拠によると、本件スコツプは石田一義経営の豚舎内で飼料攪拌用に用いられていたものであるが、同豚舎には豚の盗難防止のため番犬が飼われており、また、近くの同人方居宅にも数匹の犬がいたのであるから、夜間これらの犬に騒がれることなくスコツプを持ち出すことができるのは、石田方の家族か、その使用人ないし元使用人か、石田方に出入りの業者かに限られると推認され、このことと被告人が同年二月末まで同豚舎で働いていた事実とを併せ考えれば、原判決が本件スコツプを被告人が犯人であることを指向する証拠の一つとして挙げたのは、正当である。

(五)  被害者善枝の死体を後ろ手に縛つた状態で発見された手拭一本(同押号の一一)及び善枝を目隠しにした状態で発見されたタオル一本(同押号の一〇)について、被告人の自白を除いた関係証拠によつて認められる事実関係は、次のとおりである。

本件手拭は、狭山市田中の五十子米屋が昭和三八年正月年賀用として得意先一六〇軒に配付した一六五本のうちの一本であるが、警察は、被告人宅からの一本を含めて一五五本を回収し、三本は現に使用中のため回収しなかつたが現存することを確認し、結局七軒から七本が回収できなかつた。ところで、本件手拭には、所持者を特定するに足りる記号その他の特徴はなく、それ自体では本件手拭が被告人方に配られたものであるかどうかを判別することはできない。しかし、被告人方から手拭一本が回収されているが、警察が回収を行つた時期には、既に五十子米屋から配られた手拭が犯行に用いられたことがテレビ等を通じて広く知れわたつていたのであり、原判決が、未回収の手拭七本のうちには被告人の姉婿石川仙吉方及び隣家水村しも方に配られた分も含まれていて、そのいずれかが被告人方にあつたのではないかと説示するのも必ずしも不合理ではないから、被告人方から手拭一本が警察に回収された事実があるからといつて、直ちに、被告人方に配られた手拭が犯行に用いられなかつたと断定することも合理的とはいえない。

次に、本件タオルは、その模様の特徴から東京都江東区所在の月島食品工業株式会社が昭和三四年から同三七年までの間に得意先に配つたもののうちの一本であることが明らかであり、また、被告人が勤務していたことのある東鳩製菓株式会社保谷工場にも月島食品のタオルが配られたこと、東鳩製菓が配られたタオルを保谷工場の野球部員に賞品として配つたことがあること、被告人が同工場の野球部員であつたことが認められるが、一方、本件タオル自体には所持者を特定する特徴はなく、被告人が同工場からタオルをもらつて自宅に持ち帰り、それが本事件発生当日まで被告人方に存在したかどうかを確認するに足りる客観的証拠はなく、また、同種のタオルが狭山市内にも配られていたことが認められている。

以上の事実関係から、被告人が、本事件発生当時本件の手拭及びタオルを所持していたと直接認めることはできないが、それらを入手することが可能な立場にあつたといえるのである。このことと、全く異なる経路で配られた右の手拭とタオルとを二つとも入手する可能性をもつ者は極く限られるということとを併せ考えると、原判決が右の手拭及びタオルの存在を被告人と犯人とを結び付ける証拠の一つとして挙げたのは、正当である。

(六)  五十嵐勝爾作成の鑑定書によると、被害者善枝の膣内に残留していた精液の血液型はB型(分泌型―排出型)であり、善枝の血液型はO・MN型であることが証明され、上野正吉作成の鑑定書によると、被告人の血液型はB・MN型(分泌型―排出型)と判定されている。それ故、原判決が右血液型の一致を被告人と犯人とを結び付ける証拠としたのは、正当である。

(七)  昭和三八年五月三日午前零時ころ佐野屋附近に現われた犯人と問答をした中田登美恵及び同女に付き添つて佐野屋まで行つた増田秀雄の、犯人の音声が被告人のそれに似ているとの各証言を、被告人と犯人とを結び付ける証拠の一つとした原判決の判断は、不当とはいえない。

以上のとおり、これらの客観的証拠は、いずれも自白を離れて被告人と犯人とを結び付ける証拠としての証拠価値をもち、これらの証拠を総合して考察するならば、被告人が本事件の犯人であるとの蓋然性は極めて高度のものであり、これに反する事実は見いだせない。してみると、これらの証拠は被告人を犯人と推認するに足りるものであるとした原判決の判断は、正当として是認することができる。

三原判決は、被告人の自供に基づいて捜査したところ自供どおりに証拠が発見された関係にあるかどうか(いわゆる秘密の暴露)を考察した結果、被告人の自供に基づき発見された被害者善枝の所持品である鞄、万年筆及び腕時計の三証拠がこの関係にあるとし、また、被告人が脅迫状を中田栄作方に届けに行く途中鎌倉街道で自動三輪車に追い越されたとの自供に基づいて捜査したところ、吉沢栄がその時刻ころ自動三輪車で右街道を通行した事実が明らかになつたが、この事実に関する吉沢栄証言もまた右の関係にある、としている。これに対し、所論は、(1)右三証拠は、善枝の所持品であるとの証明はなく、(2)三証拠の発見過程に捜査官の作為や工作があつた疑いがあり、また、(3)吉沢栄証言の内容は、被告人の自白後に初めて判明したものではない、というのである。そこで記録によつて検討すると、次のとおりである。

(一)  被告人は、昭和三八年六月二〇日司法警察員(巡査部長)関源三に対し三人共犯を自供したのであるが、その際、「鞄は俺がうつちやあつたんだけど今日は言はない、今度関さんが来た時地図を書いて教える。」と述べ、翌二一日同司法警察員に対し、鞄を捨てた状況と場所を供述するとともに、その場所の略図を書いている。同司法警察員は、右略図によつて鞄の捜索を行つたが発見するに至らず、そこで、司法警察員青木一夫が被告人に対し再度鞄の捨て場所を尋ねたところ、被告人は、思い違いであつたとして、「山と畑の間の低いところ」に捨てた趣旨の、より具体的な供述をするとともに、再び略図を書いた。この略図に基づいて鞄を捜索したところ、雑木林と畑との境にある空溝の中で土を被つている鞄(同押号の三〇)を発見するに至つた。そしてまた、この鞄は善枝が本件被害に遭つた当時所持した物であることは、証拠上明らかなところである。

ところで、右のとおり本件鞄が最初の捜索では発見されなかつたこと、鞄の発見された場所一帯がいわゆる山狩による捜索の対象となつていたこと、鞄の発見以前にすでに善枝の所持品である自転車の荷掛用紐及び教科書類が右の雑木林で発見されていること、被告人の鞄を捨てたときの状況に関する供述が細部ではくいちがいがあること、鞄の下から発見された牛乳びん、ハンカチ及び白三角布について被告人が記憶がないと言つていること、などを考慮に入れて、記録を詳細に検討したが、本件鞄の発見過程について捜査官になんらか作為があつたと疑わせる証跡は見いだせない。

それ故、本件鞄は、善枝の所持品であつて、被告人が本件犯行現場から持ち去りその所在を秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて発見されたものであるとの原判決の認定は、正当である。

(二)  被告人は、三人共犯の自供から単独犯行の自供に変つた直後の同月二四日司法警察員青木一夫に対し、「万年筆は今申しました風呂場の入口のしきいの上に今もかくしてありますから何うか善枝ちやんの家へ返してやつて下さい。」と述べ、初めて万年筆の隠匿場所を捜査官に明らかにし、その場所の略図を書いている。捜査官は、この自供及び被告人作成の右略図により、翌二五日捜索差押許可状の発付を得て、翌々二六日被告人の図示する被告人方勝手場出入口の鴨居の奥を兄六造に捜させたところ、万年筆(同押号の四二)を発見した。

所論は、同年五月二三日被告人に対する窃盗、暴行、恐喝未遂被疑事件の捜索差押許可状によつて被告人の居宅が捜索され、更に、同年六月一八日被告人に対する強盗強姦殺人、死体遺棄被疑事件の捜索差押許可状によつて再び被告人の居宅が捜索されており、殊に、第二回目の捜索差押の対象物は、鞄、腕時計、万年筆、財布、その他本件に関係のある物となつていて、当然万年筆についても徹底した捜索が行われているにもかかわらず、前後二回の捜索でも発見されなかつた万年筆が、被告人の自供により同月二六日の捜索で発見されたというのは、極めて不自然であつて、その間に捜査官の作為の加わつている疑いがある、というのである。

本件万年筆が発見される前に、被告人の居宅がすでに二度にわたつて捜索されたことは、所論の指摘するとおりである。そこで、右の各捜索状況を記録によつて検討してみると、本件万年筆の発見された勝手場出入口の鴨居の奥は、右の各捜索が被告人の居宅全体にわたつて行われたものであるから、捜索されてしかるべき場所ではあるが、鴨居の高さや奥行などからみて、必ずしも当然に、捜査官の目に止まる場所ともいえず、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような状況の隠匿場所であるともみられる。従つて、二度の捜索によつて発見されなかつた事実があるからといつて、本件万年筆に関し捜査官の作為が加つていたとするのは、相当でない。そこで、観点を変えて、被告人が本件万年筆の所在を供述したのは、捜査官の誘導によるものであるかどうかについて検討してみると、被告人は、三人共犯を自供した際鞄の捨て場所を明らかにし、その自供に基づいて鞄が発見され、その後、被告人は、単独犯行を自供し、善枝の所持品の処分について述べ、時計の捨て場所及び万年筆の隠匿場所をそれぞれ図示しているが、その自供の経過は自然であつて、捜査官の誘導、作為があつた形跡は見当らない。この点に関し、被告人は、原審において、「捜査官から靴墨を置く場所を書けといわれ、図面に勝手場出入口の鴨居のところを書いたところ、そこから万年筆が出たので驚いた、兄六造の犯行かと疑つた。」旨を述べているが、彼此対比して検討すれば、被告人の原審における右供述は不自然で真実性に乏しく、原判決が被告人の原審における右供述は信用できないとしたのは、首肯することができる。また、所論は、関源三巡査部長が、勾留中の被告人のために下着の取り替えなどの用件を家族に伝えるため被告人方に立ち寄つた機会に、万年筆を当該鴨居に置いて来たかの如くいうが、憶測の域を出ない。

次に、本件万年筆が善枝の所持していたものであるかどうかについては、被告人の自供のほか、その形状、使用したときの感触等から善枝の所持したものに間違いないとする中田健治の証言があるが、万年筆自体からその所持者を特定する特徴や付着指紋等を発見することはできなかつた。ところで、所論は、検察官から開示をうけた捜査関係書類中の警察庁技官荏原秀介作成の同年八月一六日付鑑定書の鑑定結果によると、本件万年筆のインキ(資料①)は、黒青色、青色、淡青味灰色の色斑にテーリング状態で分離し、善枝の使用していたインキびんのインキ(資料②)、善枝の当用日記及び受験者合格手帳に使用されていたインキ(資料③)は、紫色、青色、明青色の同じ形状の色斑に分離し、その結果、資料①のインキと資料②、③のインキとは異質であるとしており、一方、同荏原秀介作成の同月三〇目付鑑定書の鑑定結果によると、本件万年筆のインキ(資料①)と善枝の友人中根敏子使用のインキびんのインキ(資料④)及び狭山郵便局備付のインキびんのインキ(資料⑤)とは、ともにほぼ同じ位置に黒味青、淡青味黒、淡緑味青、淡灰味青、青、濃青の色斑に分離し、右分離した色斑のうち、濃度が比較的大きい黒味青、青及び濃青について試薬により検査を行つた結果、資料①と資料④、⑤はいずれも類似しているとの結論を得たとしていて、これらの鑑定結果によると、本件万年筆のインキと善枝の日常使用していたインキとは異質のものであり、捜査官は、善枝が、級友の中根敏子から同年四月二四日にインキを借りたか、同年五月一日に狭山郵便局に行つたとき同郵便局備え付けのインキを入れたのではないかと見ているようであるが、中根敏子から借りたとすれば、当然善枝の日記は同年四月二四日の前後で文字の色が変つていなければならないが、そのような形跡はなく、結局、本件万年筆は善枝の所持していたものとは別物である、というのである。

しかし、インキの異同については、原審の審理において、弁護人は同年七月(八月の誤記と認める。)一六日付荏原秀介作成の鑑定書の取調を請求し、一方、検察官は同年八月三一日付荏原秀介作成の鑑定書(所論のいう八月三〇日付鑑定書と同一のものと解される。)の取調を請求したが、相互に同意が得られず、いずれも取調請求が撤回又は却下され、これらの鑑定書は、取調を経ていないのであるから、所論は、証拠に基づかない主張である。

ところで、記録に現れた証拠によると、秋谷七郎作成の鑑定書は、脅迫状の訂正部分に使用されたインキ及び本件万年筆の残留インキが微量のため色素組成の化学的な異同の実験は不可能であるとしているが、同人は、原審証言中で、脅迫状の訂正部分が外観上いわゆるブルーブラツクの色調をもつものであることは認めている。従つて、仮りに所論のいうように本件万年筆のインキがブルーブラツクであるとすれば、その限りにおいては一致し、脅迫状の訂正部分は本件万年筆によつて書かれたとの原判決の認定とも符合する。

以上のとおり、本件万年筆は、善枝の所持品であつて、被告人が本件犯行現場から持ち去りその所在を秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて発見されたものであるとの原判決の認定は、正当である。

(三)  被告人は、同年六月二四日司法警察員青木一夫に対して、「時計は家に帰つて風呂場の出入口の内側の敷居の上へかくして置いたけれども五月一一日頃の夜七時頃狭山市田中あたりで捨ててしまいました。」と述べ、捨てた場所の略図を書き、腕時計についてもこの日初めてその所在を明らかにした。被告人の供述の趣旨からみると、捨てた場所は三差路のあたりであるというのである。

そこで、捜査官は、同年六月二九日に至つて同日及び翌三〇日の二日間にわたり、その附近を捜索し、また、近所の聞き込みを行つたが、腕時計を発見するに至らなかつたところ、右捜索のあつたことを知つた近所に住む小川松五郎が、同年七月二日に、右三差路附近の茶株の根元にあつた腕時計を発見したと警察に届出たことから、本件腕時計(同押号の六一)を領置するに至つたものである。してみると、本件腕時計の発見について右のような経緯はあるにせよ、本件腕時計は、被告人の供述に基づいて、被告人が捨てたという場所の近くから発見された関係にあるものということができる。

所論は、捜査官が被害者善枝の腕時計を公開捜査するため作成した品触れに記載されている時計の側番号と、発見された本件腕時計の側番号とは相違しており、本件腕時計が善枝のものではなく、その捜索、発見の過程に疑惑がある、というのであるが、側番号は、捜査官が品触れを作成するために見本として使用した同種同型の腕時計の側番号を軽率にもそのまま記載したことが証拠上明らかであり、所論のような疑惑は、関係証拠からは窺えない。かえつて、関係証拠によると、本件腕時計は善枝と姉登美恵の二人が互いに使用していたことがあり、その場合、それぞれ違ったバンド穴を使用していたというのであつて、本件腕時計のバンドにはその事実を裏付ける形跡が窺える。要するに、本件腕時計の発見過程に捜査官の作為や工作が介在したことを疑わせる事実は見いだせない。

それ故、本件腕時計は、善枝の所持品であつて、被告人が本件犯行現場から持ち去りその所在を秘密にしていたが、被告人の自供に基づいて発見されたものであるとの原判決の認定は、正当である。

(四)  被告人は、捜査官に対して、脅迫状を中田栄作方に届けに行く途中、鎌倉街道で自動三輪車に追い越された旨の供述をしている。また、第一審証人吉沢栄は、その時刻に自動三輪車で同街道を通つた事実があると述べている。所論は、右事実は被告人の自供後に判明したものではない、というが、警察官石原安儀の原審証言によると、この事実は、被告人の自供の裏付捜査として同日同時刻ころ自動三輪車を運転して鎌倉街道を通つた者の有無を捜査した結果判明したというのであり、これによれば、右事実は被告人の自供によつて初めて判明するに至つた事実であると認められるから、被告人の供述は他の証拠によつて裏付けられた十分信用に値いするものであると評価した原判決の判断は、正当である。

以上のとおりであつて、被告人の自白は、犯人でなければ知りえない事実を内容としているものであつて、その真実性は極めて高いということができる。

四原判決は、被告人の犯行についての自供と死体の状況や死体と前後して発見された証拠物によつて推認される犯行の態様との間に、被告人が犯人であることを疑わせるような矛盾があるかどうかについて、詳細に検討を加え、その結果、自白と物的証拠との間に合理的な疑いをもたらすほどの矛盾は認められない、との判断を示している。

自白の真偽を判断するには、自白内容の合理性を探求することもまた重要である。もともと、自白内容が被告人の経験に基づいた事実の供述であることを前提とするかぎり、客観的な証拠との間に矛盾の生ずることはありえないはずである。しかし、供述者は、自己の経験した事実について、供述時に記憶を失つたり、又は間違つた記憶に基づいて供述をする場合があるほか、意識的にせよ無意識的にせよ自己に有利に事実を潤色して供述し、あるいは、自己に都合の悪いことについては供述を回避し、又はあいまいな供述をすることのあることは、原判決の指摘するとおりであり、その供述内容が終始一貫し、客観的証拠との間にいささかのくいちがいもなく述べられることはむしろ稀であるから、供述内容と客観的証拠との間にくいちがいがあるからといつて、直ちに供述全体が真実性を失うものと評価することは正しくない。しかしまた、供述者は、自己が経験したことのない事実について、客観的証拠を示されて、これに合致した、あたかも自己が経験した事実であるかのように供述することもありうるのである。それ故、自白の真偽を判断するにあたつては、自白に犯人でなければ判らないような秘密性のある事実の供述が含まれているかどうか、また、自白内容と客観的証拠との間に合理性のある範囲を超えた重大なくいちがいが含まれているかどうかを検討する必要がある。ところで、前者については、すでに検討したとおり、被告人の自白に秘密性のある事実の供述が含まれていることが明らかになつた。ここでは、被告人の自白内容と客観的証拠との間に合理性のある範囲を超えた重大な齟齬があるかどうかについて、以下検討する。

(一)  殺害方法について

被告人は、殺害方法について、司法警察員に対する昭和三八年六月二三日付供述調書では、「タオルで首をしめた」と述べ、その方法は、「はじめは両手でしめその端を自分の右手で押え」たと言つたが、同月二五日付供述調書では、「右の手で首を上から押えつけて」殺害したとし、次いで、検察官に対する同日付供述調書では、「右手の親指と外の四本の指を両方に広げ女学生の首に手の平が当るようにして上から押えて」殺害したとし、更に、同年七月一日付供述調書では、「首といつてもあごに近い方ののどの所を手の平が当る様にして上に押さえつけた」と補足している。この殺害方法については、原審で弁護人は、死体前頸部に指頭痕や爪痕のないこと、前頸部に二種類の索状物によつて絞扼した圧迫痕跡があること、その他眼瞼結膜に溢血点が比較的少なく眼球結膜にも溢血点や浮腫や血管充盈がないことからみると、本件の殺害は、自白にいう方法とは異なつた方法、すなわち単純な圧頸による扼殺ではなく、おそらく幅の広い索状物による絞頸と前膊部や上膊部などの比較的幅の広い鈍体による圧頸とを併せ用いた複雑な方法の殺害が行われたものに違いなく、死体の状況から推認し得る殺害方法と被告人の自白とは最も重要な点で明白なくいちがいがある、と争つたが、原判決は、鑑定の結果からは、扼頸の具体的方法についてまでこれを確認することはできないが、被害者善枝の死因が扼頸による窒息であることは疑いがないから、死体の状況と被告人の自白との間に重要な齟齬は認められないとして、論旨をしりぞけている。所論は、原審における弁護人の右主張とほぼ同旨である。

そこで検討すると、死体解剖所見にもとづく死因及び殺害方法についての鑑定として、五十嵐勝爾作成の鑑定書並びに同人の第一審及び原審証言があり、また、弁護人の嘱託に基づく上田政雄作成の鑑定書がある。右上田鑑定は、右五十嵐鑑定書、同人の原審証言、司法警察員大野喜平作成の実況見分調書並びに被告人の同年六月二五日付及び同年七月一日付検察官に対する各供述調書を資料とした書面鑑定である。

五十嵐鑑定人は、同鑑定書及び同人の原審証言で、善枝の殺害方法について、「(イ)本屍の頸部外表検査では、前頸部に、喉頭部上縁下方から上胸部にわたり暗赤紫色を呈し、その内に横走する暗赤紫色二条(記号C1及びc2で表わすもの)及び暗黒色斑点がやや多数散在し(記号c4で表わすもの)、下顎骨下方より舌骨部にわたり暗紫色を呈し、その内に暗黒色斑点若干が散在して(記号c3で表わすもの)いるが、C1とc3は、いずれも皮膚の着色(変色)部分であり、また、C1とc3との間は、皮膚の皺襞を伴つた横走状皮膚蒼白帯となつているが、頸部に索状物を使つたという痕跡はみられない。一方、(ロ)頸部器官の摘出検査では、c3に相当する舌骨部から下顎底にわたり手掌面大の皮下出血があり、C1、c2、c4に相当する喉頭部より下部に手掌面大の皮下出血があり、舌前端部に挫創があり、甲状腺左右両葉の周囲にそれぞれ軟凝血塊があり、甲状軟骨右上角部に大豆大出血があり、喉頭が充血性で溢血点がある。これらの所見は、頸部が索状物でなく、物で扼圧された時の通常の痕跡であつて、扼圧した接触面が比較的広いことを意味する。しかし、爪痕や指頭による圧迫痕があれば、手掌で首を締めたと断定できるが、本屍には、これらが認められないので、圧頸の具体的な方法までは特定することはできない。」旨を説明している。

次に、上田鑑定人は、同鑑定書で、善枝の殺害方法について、「(イ)本屍には、眼瞼結膜に溢血点が比較的少なく、眼球結膜にも溢血点や浮腫や血管充盈がみられない。この所見は、経験上何らかの幅広い物で絞殺されたか、かなり幅のある太い物で強く側頸部を圧迫した時にもしばしば認められる。(ロ)C1とc3との間は、三センチメートル以上の幅があり、C1やc3の変化を幅広い索状体の結節又は辺縁でできた損傷と受けとらなければ頤下部にできた皮下出血や喉頭部下部にある皮下出血が全く説明がつかないので、これらの損傷部を索状体を交又する際に圧迫した痕跡と考える。これらの外景所見から、幅広い兇器で絞殺したものか、あるいは幅広い鈍体(手、足等)で圧頸したものと考えざるをえない。」旨を説明している。

してみると、五十嵐鑑定は、殺害方法が扼殺であつて、扼圧が比較的幅広い物で行われたが、その用具を特定するに足りる痕跡がないので、何によるものであるかまでは具体的に示すことができない、というのであつて、右殺害方法には親指と他の四本の指とを広げた手掌による扼殺も含まれると解されるから、被告人の自供する殺害方法は五十嵐鑑定の右結論と矛盾するものではない。また、上田鑑定も、広幅い鈍体による圧頸を殺害方法の一つとして認めており、その鈍体には手も含まれるのであるから、被告人の自供する殺害方法は、上田鑑定の結論とも矛盾するものではない。ただ、同鑑定は、幅広い物で絞殺した可能性もあることを認めるので、この点について検討すると、その根拠として、(1)眼瞼結膜に溢血点が比較的少なく、眼球結膜にも溢血点、浮腫、血管充盈を見ないこと、(2)C1、c3が幅広い索状体の結節又は辺縁によりできた損傷とみられることを挙げているが、(1)は、同鑑定も認めているとおり、絞頸以外の頸部圧迫の場合にも認められる相対的な所見であり、(2)については、C1、c3を索状体の結節又は辺縁により生じた損傷とみる根拠が必ずしも十分に説明されておらず、同鑑定が書面鑑定であるためその所見の正確性にはおのずから限界があり、また、C1、c3は、前頸部の所見であつて、側頸部、項部になんらの所見もみられないから、C1、c3をもつて、直ちに幅広い索状体による絞頸によるものであるとすることは、妥当でない。結局、同鑑定は、一つの可能性として幅広い物による絞頸が考えられることを示すにすぎず、扼頸による殺害方法を否定するものでないことも明らかである。ところが、同鑑定は、前記結論に引き続き、右手の親指と他の四本を両方に広げて善枝の首に手の掌が当るようにして首を締めたとの被告人の供述に相当する所見は考えられないとの判断を示しているのは、同鑑定の説明及び結論から考察すると飛躍があり、これに賛同することができないとする原判決の判断は、首肯することができる。

以上のとおりであつて、殺害の方法に関し、死体の状況と被告人の自白との間に重要な齟齬は認められないとした原判決の判断は、正当である。

(二)  姦淫の態様及び後頭部創傷について

所論は、姦淫の態様についても自供と客観的事実との間に矛盾がある、というのであるが、被害者善枝の死因は、頸部扼圧による窒息死であり、死体には多数の損傷があるが、特に五十嵐鑑定の指摘するとおり外陰部に生存中成傷した新鮮創として表皮剥脱、擦過傷、皮下出血などの損傷が認められ、腟内から精液が検出されているほか、同女は、目隠をされ、後ろ手に縛られ、ズロースを下げられた状態で発見されている。そこで、被告人の姦淫の態様についての自供内容と死体の客観的な状況とを対比して検討してみたが、その間に矛盾はみられない。

所論は、本屍の後頭部創傷は、その程度からみて、善枝が意識を失うほどのものであるのに、被告人は、自供中でそのことに何も触れていないし、また、該創傷から多量の出血があつたとみられるのに、被告人の自供する犯行現場や死体を処置した場所等から血液が検出されていないから、自白と客観的事実との間に重要な齟齬がある、というのである。

五十嵐鑑定及び上田鑑定は、ともに、該後部創傷の成因を善枝の後方転倒等による鈍体との衝突等と推定している。しかし、五十嵐鑑定は、その程度については触れておらず、また、該後頭部創傷は生存中成傷の新鮮創としているが、出血の量については何も説明していない。上田鑑定は、該後頭部創傷は生前或は死戦期のものである可能性があるが、多量の出血があつたと認めるべき所見は見当らない、と説明している。当裁判所が五十嵐鑑定書添付の写真及び司法警察員大野喜平作成の実況見分調書添付の写真を観察した限りでは、頭部の皮膚や毛髪等に血液が流出し付着した状態をみることができなかつた。その他、記録を検討しても、所論のいうように、善枝が後頭部創傷によつて意識不明に陥つたこと、及び同創傷から多量の血液が流出したことを推認させる事実は存しない。それ故、本屍に後頭部創傷があるからといつて、被告人の自白と客観的事実との間に齟齬をきたすものとすることはできない。

(三)  死体の処置について

所論は、死体の処置についての自白と客観的事実との間に矛盾がある、というのである。

そこで検討すると、五十嵐、上田両鑑定によると、本屍はうつ伏せの状態で埋没されていたため、体前面のうち土に圧迫されていない部分に強く死斑が出ているとともに、体背面にも軽度の死斑が残存している。原審における五十嵐証言によると、このような死斑の出現状態は、うつ伏せの状態で埋められる前に、あお向けの状態にあり、しかも、一旦生じた死斑がその後体位転換によつて消失せず残存するためには、三時間以上あお向けの状態に置かれたものと推定されるのである。ところで、原判決は、「被告人は芋穴の中に死体を逆さ吊りしたと供述しているが、死体が穴の中でどの様な状態にあつたかはつきり述べていないので、情況証拠によつてその状態を推認するとしたうえ、証拠を検討し、逆さに吊り下ろす場合に死体をあお向けに芋穴の底に横たえることは容易であるし、そうでないとしても、身体が腰部で折れ、上半身があお向けの状態になることも考えられるが、その状態はいずれとも判然としない。しかし、少なくとも死体は宙吊りの状態ではなかつたと考えるのが相当であるとし、この状態を含めて、被害者善枝の死体は、殺害後、農道に堀つた穴に埋め直すまでの間およそ五時間近く、あお向けの状態であつたと認めて差し支えなく、結局、死斑の状態と被告人の死体処置に関する自白との間に矛盾がない」旨を判示しているが、右判断は是認することができる。

所論は、原判決は、芋穴の大きさ、その傍らの桑の木の位置及び木綿細引紐、荒繩の長さから一つの算術計算を行い、自白とこれらの形状が一致すると説示するが、その方法は、証拠の形状を勝手に変更して、自白に合うように計算したものである、というのである。なるほど、原判決は、「被告人の供述するところに従い、繩の一端を桑の木に二回りさせて約二〇センチメートルの端を残し、繩が桑の木から芋穴の底に達するようにするには合計5.91メートルの長さが必要であり、荒繩の四本の合計は24.03メートル、木綿細引紐の全長は2.60メートルであるから、荒繩と細引紐とを結びつけ、これを四重にして使用したと仮定し、その四等分の長さは約6.65メートルとなるので、結び目を作るときに要する若干の長さを差し引いても、被告人のいうような方法で善枝の死体全体を芋穴の底に平らに横たえることは十分可能である」旨を説示している。そこで考察すると、善枝の死体を芋穴に逆さ吊りしたとき用いた木綿細引紐及び荒繩(同押号の八)は、その用いられたままの状態で死体埋没現場に遺留されていたと認めるのが自然であり、原判決の木綿細引紐及び荒繩の使用方法についての仮定は説明の不充分な点があるが、要するに、司法警察員大野喜平作成の実況見分調書によると、まず木綿細引紐をほぼ半分に折つて二重にしたうえ、折り目の内側に紐の両端を通して環を作り、この環の中に善枝の両足を入れて縛り、また、荒繩二本を、それぞれ二重に折つて四本合せとし、折れ目をほぼそろえて木綿細引紐の両端を合わせた部分と結び、この四本の荒繩には、更に数本の荒繩が順次継ぎ足されており、四本の荒繩のそれぞれの全長は、6.90メートル、6.75メートル、5.58メートル及び4.80メートルであるというのであり、前記によると、右木綿細引紐を二重にした長さは1.30メートルとなる。右のそれぞれの長さから、所論の算定するところに従い、木綿細引紐と荒繩との結び目に用いられた部分及び両足を縛るのに用いられた部分の長さを差し引くと、足首の部位から測定した木綿細引紐と荒繩とを合わせた長さは、最長のもので約7.15メートル、次が約7.00メートル、約5.83メートルの順で、最短のもので約5.5メートルとなる。これによると、穴底に善枝の全身をあお向けに横たえた場合でも、上半身をあお向けに横たえた場合でも、うち三本は傍の桑の木に縛ることができる。また、同実況見分調書によると、右の荒繩のほかに長さ1.75メートルの荒繩一本(同押号の九)がその傍らに遺留されていたのが同時に発見されており、この荒繩を右四本の荒繩のうち最短のものに継ぎ足すとすると、その全長は6.80メートルとなる。これによると、四本の荒繩はほぼ同じ長さとなり、前記のいずれの場合でも、四本とも右桑の木に縛ることができる。それ故、原判決の結論に誤りはないといえる。

次に、所論は、右木綿細引紐の出所が客観的証拠により明らかにされていない、というのである。ところで、被告人は、善枝の足を縛つて逆さ吊りにするために用いたとする右木綿細引紐及び荒繩の出所について、検察官に対する同年七月三日付供述調書で、「先ず犬のいる家の二本の繩を盗み、次ぎが建てかけの家の西側の横倒しの梯子のそばの麻繩みたいな細い繩を盗み、最後に建てかけの家の東側の繩を盗んだ。」と述べている。犬がいる家が中川えみ子方を指し、建築中の家が椎名稔方を指すことは証拠上明らかであり、被告人の右供述にいう麻繩みたいな細い繩とは木綿細引紐を指すものと認められるところ、原審証人中川えみ子及び椎名方の建築工事に携つた原審証人余湖正伸は、荒繩については被告人の右供述を裏付ける証言をしているが、木綿細引紐については両証人とも覚えがないと述べていて、結局、木綿細引紐についての被告人の供述を裏付ける証拠がない。しかし、木綿細引紐と同時に入手したとする荒繩については確たる裏付けがあり、木綿細引紐の存在についても両証人とも積極的に否定しているわけでもないのであるから、木綿細引紐について裏付を欠くからといつて、直ちに被告人の自白が虚偽架空なものと断ずることは、相当でない。いわんや、この点をとらえて、被告人が自己の体験しない事実を供述したが故に生じた齟齬であるとすることには合理的な根拠がない。

(四)  首に巻かれた木綿細引紐の用途について

被害者善枝の死体は、木綿細引紐(同押号の六)が首に巻かれた状態で発見されているが、被告人は、捜査段階以来、善枝の首に巻かれていた木綿細引紐についての記憶がない、と述べている。

所論は、被告人の右供述は、事実を否認したのではなく、被告人が犯人でないため説明することができなかつたことによるものであるのに、原判決が、被告人が善枝の死を確実にするため、右木綿細引紐で首を締めたとの前提に立ち、被告人がこのことを情状面において自己に不利益な事実であると考えて否認した、としたのは、全くの独断的な推論である、というのである。

ところで、五十嵐鑑定によると、本屍の前頸部に多数の赤色斜走線があり、これは、「生活反応がなく、索状物(荒繩或いは麻繩の類)の死後の圧迫により生じた死斑と判断される。」としている。このことは、本屍が、その頸部に右木綿細引紐を巻かれたまま土中にうつ伏せに埋められていたことから、その間の血液沈下により、右木綿細引紐の繩目が前頸部に死斑として現われたとみることと符合する。これに対し、上田鑑定は、本屍の前頸部に三通りの赤色斜走線条の条痕が認められ、これは、死戦期または死の直後に細引紐等を用いて死を確実にするため頸部を締めたものと推定し、善枝の首に右木綿細引紐が巻かれていたことから、この場合、右木綿細引紐で二、三回頸部を締めた可能性がある、としている。しかし、本屍は、前頸部にのみ赤色斜走線条が認められ、側頸部、項部になんらの痕跡もみられないことや右線条が死斑とみられることを併せ考えると、上田鑑定の右推論には疑問が残る。一方、善枝の足にも木綿細引紐が巻かれたまま死体が発見されていることから、首に巻かれた右木綿細引紐も死体の処置のため使おうとしたものと推定できる余地もあり、結局、客観的証拠からはその使用目的は判然としない。

被告人は、検察官に対する昭和三八年七月七日付供述調書で、検察官から首に巻かれた右木綿細引紐(昭和三八年領一六四号の符号五)を示されて、「その五号の麻繩については、どこを縛つておいたのか覚えがありません。然しその麻繩は梯子の附近から盗つて来た麻繩の様です。」と述べている以上に具体的に触れていない。それは、原判決の説示するように故意にその用法についての供述を避けたとも、あるいは、被告人の記憶に残るほどの使い方をしなかつたなどのためとも考えられるが、いずれにしても、被告人が右木綿細引紐の具体的な用法について供述していないからといつて、被告人の自白全体の真実性に疑問を差しはさむことは、相当ではない。

(五)  殺害時刻について

五十嵐鑑定によると、本屍は、「胃腔内に大約二五〇竓の軟粥様半流動性内容を容る。消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茹子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ。」、「十二指腸内並びに空腸内に微褐―淡黄色半流動性内容ごく少許を容る。廻膓には黄緑色軟粥様内容と共に小豆のかわ少許を容る。」とし、「胃内容並びに腸内容の消化状態及び通過状態より考察するに、本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せられる。」と説明している。一方、上田鑑定は、五十嵐鑑定に記載されている胃内容であるとすれば、通常食後二時間位と考える、とする。もとより、胃内容物の消化状態から死亡時刻を推定するのは、胃内容物の消化状態を観察し、自らの経験に基づいて判断するのであつて、それぞれの鑑定人によつて若干の差異が生ずるとともに、それはあくまでも推定であるから、厳密な時間を測定するものではない。

ところで、被害者善枝は、事件当日朝食に小豆入りの赤飯を食べ、昼食として学校で料理の実習に作つたカレーライスを午前一一時五〇分ころから午後零時五分ころまでの間に試食したこと、また、下校時刻は午後三時二三分ころであつたことが、関係証拠によつて明らかとなつている。原判決は、「善枝の死体とともに発見された雑部金領収書乙一枚(同押号の一四)の存在と証人宇賀神敏枝の第一審供述とによれば、善枝は右領収書を受領するため下校後狭山郵便局に立ち寄つたことが認められる。また、学校、郵便局、加佐志街道のX型十字路の出会地点までの距離関係に徴すれば、善枝が右出会地点に差しかかつたのは午後三時五〇分ころと認めて差し支えない。更に、右X型十字路と「四本杉」との距離や被告人のいう犯行の手順からみると、殺害時刻は午後四時ころから四時半ころまでの間であると認めるのが相当である。」旨を説示している。原判決の右説示するところは、五十嵐鑑定のいう死亡推定時刻と必ずしも矛盾するものではなく、また、被告人の自供とも矛盾するものでもない。

所論は、「上田鑑定の死亡推定時刻によれば、昼食を基準とする限り、原判決の認定する殺害時刻に疑問があり、むしろ、善枝の胃内容物中にトマト片が発見されているが、トマトが昼食のカレーライスの材料やその添え物として使われたとの証明がないことからみれば、善枝は下校後もう一度食事を取つたと考えるほかはない。それに、善枝は当日誕生日であり、午後三時ころ西武線第二ガード下で人待ち顔に立つているのを中学校当時の担当教諭相沢建一が目撃していることが弁護人の調査で明らかとなつた。これらの点を併せ考えると、善枝は下校後親しい友達と会つて食事をし、そのあと二時間経過したころ、何者かに殺された可能性が強い。」というのである。

しかし、上田鑑定は、五十嵐鑑定等を資料とする書面鑑定であつて、鑑定人自身が胃内容物を観察して死亡推定時刻を判断したものではないから、その確度におのずから限界があり、従つて、上田鑑定の死亡推定時刻を動かしがたい前提とするこことは妥当でない。また、善枝が当日学校の料理の実習で試食したカレーライスやその添え物の材料にトマトがあつたとする証拠がないというにすぎないのであつて、むしろ善枝がその後別の機会に食事を取つたとすれば、原判決の指摘しているように、その際食べた別の内容物も発見されたはずであるが、その形跡はみられない。その他、所論が新目撃者を発見したとする点も、記録外の事実であるのみならず、記録に現われた、善枝が放課後下校するまでの間の学校内での行動に関する級友達の証言とは相容れないものである。結局、所論は、合理的な裏付けを欠くものである。

(六)  脅迫状訂正の筆記具並びに万年筆奪取の時期及び場所について

所論は、被告人は、本件脅迫状及びその封筒を被告人の所持していたボールペンで訂正したと自供しているが、右訂正は、ペン又は万年筆によるものであることは鑑定の結果によつて明らかであり、被告人の右自供と客観的事実との間には重大なくいちがいがある、というのである。

そこで、本件脅迫状及び封筒によると、脅迫状の用紙上部欄外の「少時このかみにツツんでこい」との記載中「少時」という字が塗りつぶされているほか、本文第一行目の「4月28日」との記載中「4」、「28」及び「日」の字が塗りつぶされて、その下段に「五月2日」と記載されており、また、第二行目の「前の門」の「前」の字が塗りつぶされて、その下段に「さのヤ」と記載されており、脅迫文が明らかに訂正されたと見られる形跡がある。また、封筒の表の「少時様」と記載された宛名が斜線で消されて、その下方に「中田江さく」と宛名が書き直された形跡が窺える。同封筒の裏には「中田江さく」との記載が二個所ある。

この点について、被告人は、捜査官に対する供述調書では、「通称「四本杉」と呼ばれる雑木林内で被害者善枝を殺害した後、杉の木の下か檜の下かで、ズボンのポケツトから脅迫状を取り出し、持つていたボールペンで封筒及び脅迫文を前記のとおり訂正し、強取した三つ折財布の中にあつた身分証明書を脅迫文と一緒に封筒に入れて用意した。そのときに使つたボールペンは、兄六造のもので、万年筆のような形をしていて上から押すとペン先が出るようになつていた。」旨を述べている。

しかし、原審において取調べた秋谷七郎作成の鑑定書によると、脅迫状の訂正部分の筆記具は、ペン又は万年筆であるとされ、原判決も、同鑑定の鑑定結果は信用するに足りるものである、と認めている。そこで、原判決は、「被告人が犯人だとすると、被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、本件兇行が行われた「四本杉」の所で思案していた間のことで、被告人がその場所で善枝の鞄の中を探つて筆入れの中にあつた万年筆を取り出し、それを使つて杉か檜の下で雨を避けて脅迫文を訂正したと認めざるをえないことになる。そうだとすると、万年筆を奪つた時期と場所に関する供述及び万年筆を使つたことがないからインクが入つていたかどうかわからないとの捜査段階での供述は、偽りであるといわざるをえない。従つて、脅迫状の訂正に使用した筆記具及び万年筆の奪取時期に関する第一審判決の事実認定には誤りがある。」旨を判示している。

そこで考察すると、秋谷鑑定(補遺)は、「検体用箋紙(本件脅迫状)に書かれた日付「5月2日」(「五月2日」の誤記と認める。)と文字「さのや」(「さのヤ」の誤記と認める。)との二つは万年筆を使用した公算頗る大である。但し、本検体万年筆(本件万年筆)で書いたものか、これ以外の万年筆を使用したかは判定出来ない。但し、一応考えられることは、何れもペン先の腰の強さとペン先のペンポイントの太さとが、検体ペンのそれとおなじ位のものであつたと推定する。」としている。また、本件万年筆が被告人の自供に基づいて被告人宅から発見されたことにより、被告人が本件万年筆を善枝から奮つたことが裏付けられている。従つて、犯行現場である「四本杉」において、善枝所持の本件万年筆を奪つて使用すれば、脅迫状及び封筒を訂正することは可能であつて、本件万年筆が右の訂正の筆記具として使われたとしても、証拠上の矛盾はない。

それ故、被告人の本件脅迫状及びその封筒の訂正に用いた筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所に関する自供は、客観的証拠によつて認められる事実とくいちがいがあることは明らかである。しかし、このくいちがいは、被告人が犯人であることについて合理的な疑をさしはさむほどのものではない。

以上検討したとおり、脅迫状等訂正の筆記具並びに本件万年筆の奪取の時期及び場所について、本事件の犯行に関する物的証拠の示す事実と被告人の自白内容との間にはくいちがいがあり、また、被害者善枝の首に巻かれていた木綿細引紐の用途について被告人は供述しておらず、あるいは、右木綿細引紐及び善枝の足首に巻かれていた木綿細引紐の出所について明確な裏付けを欠く部分があるが、これらは、いずれも自白の真実性に合理的な疑を抱かせるほどのものではなく、また、殺害の方法及び時刻、強姦の態様、死体の損傷並びに死体の処置等についても、自白内容と物的証拠との間に重要な齟齬はない。その他、所論は、自白内容の細部にわたり物的証拠とのくいちがいがあるとし、あるいは、物的証拠から独自の推論を試みたうえ、自白内容と矛盾する反対事実が存在するかの如く主張するが、いずれも合理的なものではない。それ故、原判決が、自白と物的証拠との間に被告人が犯人であることに合理的な疑をもたらすほどの矛盾は認められないとしたのは、正当である。

なお、記録によると、被告人は、捜査段階では、(イ)川越警察署分室の留置場の壁板に、「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください 六・二十日石川一夫 入間川」と詫び文句を爪書していること、(ロ)同留置場で紙を裂いて、「中田よしエさんゆるして下さい」と書いていること、(ハ)昭和三八年六月二七日付で善枝の父中田栄作あてに、「このかみをぜひよんでくださいませ 中田江さくさん 私くしわ中田よしエさんごろしの石川一夫です」との書き出しで、自己の家族をうらまないで下さいと訴えた手紙を書いていること、更に、第一審において死刑の判決を受けた後、(ニ)同三九年四月二〇日付で原審裁判長にあてた移監の上申書の書き出しに、「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された石川一雄でございます。」と書いていることなど、深い反省と悔悟の情を表わしている事実がみられる。これらは、真実に裏付けられなければ表現できないものであつて、被告人の自白の真実性を知る重要な手がかりとなる事実である。

五本事件は、捜査の段階及び第一審の半年にわたる公判審理中、被告人が終始自白を維持したこともあつて、後に原審で問題となつた点が解明されないまま、第一審の判決が言渡された。ところが、被告人が、原審第一回公判期日において、突如、自白を翻し、本事件の犯罪事実を全面的に否認するに至つたことから、原審は、事実の解明のため、第一回公判以来一〇年間、八二回にわたる公判の大部分を事実の取調にあて、延べ八〇名の証人を尋問し、一一回の被告人質問、六件の鑑定、七回にわたる検証を実施して、第一審判決の事実認定の当否を審査するという経過をたどつている。

本事件については、これまで詳細に検討してきたとおり、脅迫状の筆跡をはじめとし、被告人の自白を離れて被告人が犯人であることを推断するに足りる数多くの客観的証拠が存在し、かつ、真実性の高い、詳細な内容をもつ自白があるのであるが、一部に証拠上なお細部にわたつては解明されない事実が存在することも否定することができない。この解明されない部分について合理的に可能な反対事実が存在するかどうかを吟味し、これを排除することにより、はじめて有罪の確信に到達することができるのである。そしてまた、合理的に可能な反対事実が存在する限り、犯罪の証明が不充分として、疑わしきは被告人に有利に解決すべきである。

所論は、このような記録上解明されていない諸点を重視し、記録及び記録外の資料などをも加えて、被告人の犯行としては合理的に説明できない点があるとし、あるいは他に真犯人のあることを疑わせるような事実がある、というのである。

当裁判所は、原判決の事実認定にこのような疑点が合理的に存在するかどうかを吟味するため、あらゆる角度から慎重に検討をした。たしかに、原審でも一部に証拠上なお細部にわたつては解明されない事実があり、この解明されない部分について、それぞれ、反対事実の成立を含めいく通りかの事実の成立の可能性が考えられるが、このような場合には、全関係証拠の総合判断により最も合理性のある確度の高いものがあれば、それをとることとなるのである。このような見地から、右の解明されない事実を検討した結果、被告人が犯人であることに合理的な疑念をさしはさむ事実の成立は認められず、また、それらの解明されない事実を総合しても、右の合理的な疑念を抱かせるに足りるものがあるとは認められない。

それ故、原判決が、客観的証拠を中心にすえ、自白の真実性を検討し、更に、認定の妨げとなる事実の存否を考察したうえ、これらを総合的に評価すると被告人が犯人であることに疑いはないとした判断は、正当である。

(結論)

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(吉田豊 岡原昌男 大塚喜一郎 本林譲 栗本一夫)

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